今帰仁城跡歴史散歩

御内原(ウ−チバル) 
 北殿跡の北側一段高いところを御内原と呼んでいる。ここは「女官部屋」があったといわれるところである。北端は城内で最も見晴らしのよいところで大隅一帯の石垣から今帰仁村全域をはじめ伊平屋、伊是名の島々、国頭の山波、晴れた日には遠く与論島が眺められ、東支那海の七色に輝く海を脚下に見ることができる。
 東の崖の上には深さ1.5mくらいの石を積んである窪地があるが、何に使用され てい たのか全くわからない。ある人は便所の跡ではないかといい、ある人は水を溜めた跡だという。水に関係する時は火をつけない線香で拝むのが沖縄の習慣である。ここでは火をつけない線香で拝むから水を溜めた跡だという。
 その直下志慶真川の左岸には水揚げ場と考えられる遺構がある。

本丸跡と火の神
 大庭の東の高くなった箇処を本丸跡といっている。ここには火の神の祠があり、参拝者があとを絶たない。その前に「山北今帰仁城監守来歴碑記」が立っている。  本丸跡には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、移動させられている石もある。かつての建築物の形がほぼ想像される。
 火の神は今帰仁城火の神が祭られ、陰暦8月10日には今帰仁ノロ、中城ノロ以下の神人がウイミの祭礼を行なっている。

山北今帰仁城監守来歴碑記
 本丸の火の神の祠の前に石灯籠四基とともに立っている。建立者は今帰仁王子朝忠で、清国の乾隆14年8月に建てられている。
 乾隆14年8月は尚敬王37年、西暦1749年にあたる。

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