今帰仁城跡歴史散歩

北殿跡と城ウイミ 
 陰暦8月10日に今帰仁ノロ、中城ノロ以下十数名の神人(かみんちゅう)達によって行なわれる祭事で、白装族、白鉢巻きをしたノロや神人達が祈願をしている。ここ北伝跡はかつての祭事を執り行なったところであるといわれ、今尚礎石が散在している。


カラウカ−

 北殿跡と同日に祭事が行なわれる。南殿跡の東南隅にすこし窪みのある自然石があって、常時水をたたえている。「女官達」が髪を洗ったところであると伝えられる。

ソイツギ
  北殿跡の西側にあって、城ウイミにはここでも祭事が行なわれる。

テンチジアマチジ

 御内原(ウ-チバル)の隅にあって、ここは男子禁制の聖地で城ウイミの祭ではノロや神人、すなわち女だけで祭礼を行なう。今帰仁城内の拝所で最も崇高の地で霊地とされ ている。 巨大な自然石があり、高さ1mくらいの石垣で囲われている。

 旧盆の終わった亥の日に「ウンジャミ」の行事が行なわれる。古宇利や塩屋ほどの大々 的行事ではないが昔は相当盛んに行なわれたという。

 現在は参加する神人の人数も少なく簡略化されている。
 最初に北殿跡の拝所で五穀豊穣、無病息災、家内安全、子孫繁栄を祈願してから本丸跡の火の神の祠、カラウカ−、ソ イツギ、テンチジアマチジの各拝所を七回廻って祈願をする。それから城門を出て県道115号線の西側小径を通 って兼久(はくに)にいき、シバンテナ浜でみそぎをする。それから今帰仁ノロ殿内前の北山城入口のバス停の側にある小高い毛でおひらきになる。 その間先端からはトウシンケ−ジの旗をかかげて通るのが通例であるが旗持ちの方が老令になり、旗はあるがこれをかかげることはしなくなった。

 これらの神事も昔から行なってきた神人達の老令化や、また故人になったり、居所 が変わったりして後を継ぐ人が絶えてしまった。また祭事そのものが簡略化して古式にのっとった祭事はほとんどが忘れられていくのが現状である。

 取材をして各係の方々にあってもただ記憶だけで行事を行なっているだけあり、供物でも後におさがりを欲しくないということと、あまり費用をかけない配慮から非常に簡単に作られている。ただノロ達はその日時を忘れずに続けている。行事の一切の世話は今泊の区長がやっている情況である。



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